ロマン海遊21
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  古くは歌枕「奥の海」といわれ、「新古今和歌集」に藤原定家(1162〜1241)が詠んだ『尋ね見るつらき心の奥の海よ汐干の潟のいふかひもなし』の歌があります。伊達2代忠宗公が牡鹿半島に鹿狩に来たとき、「この入江を干拓したら万石の米がとれるだろう」と語ったことからその名が生まれたと伝えられています。

  ノリ・アサリやカキの養殖場として知られ、種ガキは海外まで輸出されました。周辺には梨木畑貝塚等があり、古来より豊かな入江であったことが分かります。

  また、江戸時代から昭和35年まで入浜式の製塩が盛んに行なわれ、塩田として発達していました。特に江戸時代には伊達藩の約半分の塩が生産され、藩の財政の一翼を担っていたといわれています。

  万石浦の東海岸から南に伸びる約25kmの半島で、石巻市のほか女川町に属しています。リアス式海岸特有の変化に富んだ海岸線は入江ごとに異なった眺望を見せています。この半島の尾根の部分を縦断する「牡鹿コバルトライン」は昭和46年(1971)有料道路として開通しましたが、平成8年(1996)から一般道になり、金華山への入り口鮎川へ続く風光明媚な観光道路としてさらに利用価値が高まりました。また、平成11年(1999)3月には県道石巻鮎川線の風越トンネルも開通し金華山方面へ一層近くなりました。

  天平時代に我が国で初めて金を産出し、朝廷に献上されたという伝説の残る島で、松尾芭蕉が「奥の細道」のなかで「すめろぎの御代栄えんと東なるみちのく山に こがね花咲く とよみて奉りたる金花山海上に見渡シ……。」と紹介しています。古来より航海の目標「山あて」の島として、漁民等の厚い信仰の対象でもありました。

  周囲26km海抜445m、鮎川から観光船があり、野生の鹿や猿の棲む島、また島の桟橋の反対側にある雄大な千畳敷など、海岸の美しさで知られています。中腹にある金運・開運の神様として弁財天が祀られる黄金山神社は「3年続けてお参りすると一生お金に不自由しない」と言われ、毎年各地から多数の参詣客が訪れ、とくに巳年大祭(龍神祭)の年には大いに賑わいます。

 国指定史跡名勝の斎藤家庭園は、明治から昭和終戦まで、酒田の本間家と並ぶ千町歩地主として有名な斎藤家の庭園で明治後期に造られた。

 特に第九代斎藤善右衛門は謹厳方正で衆議院議員にも選ばれる。理財の道に長じ富を重ねたが「財産は神からの預かりもの」との理念で多額の寄付を惜しまなかった。大正12年、学術研究・産業開発・社会福祉を目的に300万円(現在の100億円以上)の基金を投じ「財団法人斎藤報恩会」を設立、東北のあらゆる分野の科学者・研究機関にわたり、八木アンテナの八木秀次氏・KS磁石鋼の本多光太郎氏などの研究成果も見られ、現在も「自然史博物館」の運営など活動している。

 宝ヶ峰縄文記念館は、明治43年斎藤家別荘への通路開削中に発見され、昭和2年まで発見された縄文時代の土器・土偶・石器・骨角器など全国的にみても珍しい貴重な遺物も展示している。特に遺跡は全国に先駆けて分層的発掘を試みた所として知られ、遺跡名は「瓦礫も学びの道の宝」ということから名付けられた。