ロマン海遊21
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  奥州三観音(聖観音)の一つといわれ、坂上田村麿が奥州蝦夷征伐の際、大獄丸という賊を倒し、死体を3つに分け牧山・富山・箟岳に埋め付近の賊を威圧するとともに、その冥福を祈るために建立したと伝えられています。なお、近くの牧山山中には「田村麿一千年供養塔」も建てられています。
  享和元年(1801)に禅昌寺境内から発掘された古碑で、蝦夷征伐の折、伊寺水門で戦死した将軍上毛野田道に関するものですが、江戸時代後期、塩竃神社の神官だった藤塚式部による作とも言われており、現在は禅昌寺に保管されています。『日本書紀』仁徳天皇55年(367)の条に『後に賊兵が田道将軍の墓をあばいたところ、大蛇が現われ賊兵を噛み殺した』と記されています。なお、永巖寺境内にレプリカの碑がありますのでこちらを見学するのもよいでしょう。
  伊達政宗に仕え、北上川を開削し、石巻繁栄の礎を築いた川村孫兵衛重吉(1575〜1684)生前の功労により、大正御大典の時に正五位が追贈されたのを記念して創建され、彼を祀った神社です。近くには夫婦の墓もあります。

  川村孫兵衛は長州阿武(現在の萩市)に生まれ毛利氏に仕えていましたが、25歳の時政宗の家臣となり、郷六や品井沼、貞山堀などの土木工事に従事しました。そのなかでも北上川下流の流路をかえる工事(1623〜1626)は彼にとって最も重大で難しいものだったといわれています。藩財政の苦しい中、自身の借金で補いながら人夫と寝食を共にし、世紀の大工事を完成させ、石巻を一寒村から東北一の港町に変えた功績はいつまでも語り伝えられるでしょう。

  湊地区の西部に連なる丘陵で、頂上には零羊崎神社があり、現在では「牧山市民の森」として多くの市民にハイキングコースやフィールドアスレチック場などのアウトドアスポットとして親しまれています。吉野町からと伊原津からの登り口は自動車で頂上まで行くことができますが、本来の参道は大門崎から徒歩で向かう道と考えられ、幾つかのルートがほかにあります。

  零羊崎神社境内には、明治の神仏分離により廃寺となった天台宗の寺院「鷲峰山長禅寺」に関する資料や元三大師(がんざんだいし)の木像、栄存神社等、多くの文化財があります。また、社務所では、坂上田村麻呂・悪玉御前の木像、県指定の無形文化財『法印神楽』で使用される衣裳・面、紅毛日時計や宮司さん自ら収集した蝶や昆虫のコレクションなどが事前の予約により見学できます。