ロマン海遊21
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  石巻市指定文化財第1号の板碑で有名な湊吉野町多福院の本堂裏には、天皇の菩提碑としては全国唯一といわれる「吉野先帝菩提碑」があります。奈良の吉野山に南朝を樹立した後醍醐天皇(1288〜1339)を供養するために、この地を治めていた南朝方の葛西清貞が天皇の崩御を知り建立したといわれています。高さ約1.5m幅約70cmの稲井石で、碑文は「(梵字)奉為/吉野先帝御菩提也/延元二二己卯(1339)年霜月(11月)二十四日敬白」とあり、頭の梵字は『ア』(日天子)か『キリーク』(阿弥陀如来)の二説があります。《己》は「つちのと」と読みます。『延元』は南朝(吉野朝)の年号です。

  享保13年(1728)五代藩主吉村の紀行文に「吉野先帝御位牌、北畠准后・顕家のたておかせ給ひける寺に行て」と記され、奥州南朝勢力(吉野朝)の中心・葛西氏六代清貞が建立したものと伝えられています。また、吉田松陰は『東北遊日記』に「湊有八皇子護良親王為先帝所建碑」と書き残しています。

  一時志士・学者の参拝が相次ぎ、寛政2年(1790)には高山彦九郎(1747〜1793)・蒲生君平(1768〜1813)も訪れ、明治35年(1902)5月には石川啄木も修学旅行で見学し、更には昭和27年(1952)9月には井伏鱒二も訪れ「『奥の細道』の杖の跡」に記しています。

 伊達支配の時代には、仙台藩主参拝の際は門前で下乗し、僧侶は当日限り着座扱いと伝えられており、大塔宮護良親王陣中守本尊とされる大日如来像が寺に収められています。

  南北朝末期、後醍醐天皇の皇子である護良親王(1308〜1335)は鎌倉で殺害されたと史実に残されていますが、足利直義(1306〜1352)の部下淵辺伊賀守義博の計らいで秘かに奥州に逃れ、石巻に隠れ住んだと伝えられています。この護良親王を祀っているのが一皇子神社で、拝殿の背後には、宮の陵墓と伝わる古墳があり、付近には御所入・御所浦・御隠里・吉野町等の地名も残されています。
  銅造釈迦如来坐像で、元禄10年(1697)に沙弥清山により建立されたといわれ、京都で鋳造され海路石巻へ運ぶ途中銚子沖で船が遭難、海中に没したものの数十年後に北上川河口に漂着したと伝えられています。長年海中にあったため、全身の色が湿ったように見えるので、濡仏の名が付いたとわれています。船舶の安全大漁の守護神とされ、境内には江戸時代の海難供養碑も建てられています。
  越後新発田藩中小姓久米弥五兵衛が文化14年(1817)、同藩の藩士宅で馬廻役滝沢休右衛門に殺害され、その長男久米孝太郎(?〜1891)が成人してから約30年全国を探し回り、僧形に扮し「黙昭」と名乗っていた滝沢を安政4年旧10月9日(1857年11月25日)、祝田浜(五十鈴神社前の仇討ちの碑のある付近)で打ち果たしました。事件発生から41年、史上2番目に長い仇討ちとして知られ、菊池寛(1888〜1948)・長谷川伸(1884〜1963)等により小説化され、平成10年(1998)3月にはNHK「堂々日本史」でも紹介されています。

  渡波梨木畑の旧金花山道脇には「胴空(どんがら)地蔵」と呼ばれる安政6年(1859)4月建立の滝沢休右衛門の供養碑が物悲しく建っています。