| 石巻市指定文化財第1号の板碑で有名な湊吉野町多福院の本堂裏には、天皇の菩提碑としては全国唯一といわれる「吉野先帝菩提碑」があります。奈良の吉野山に南朝を樹立した後醍醐天皇(1288〜1339)を供養するために、この地を治めていた南朝方の葛西清貞が天皇の崩御を知り建立したといわれています。高さ約1.5m幅約70cmの稲井石で、碑文は「(梵字)奉為/吉野先帝御菩提也/延元二二己卯(1339)年霜月(11月)二十四日敬白」とあり、頭の梵字は『ア』(日天子)か『キリーク』(阿弥陀如来)の二説があります。《己》は「つちのと」と読みます。『延元』は南朝(吉野朝)の年号です。
享保13年(1728)五代藩主吉村の紀行文に「吉野先帝御位牌、北畠准后・顕家のたておかせ給ひける寺に行て」と記され、奥州南朝勢力(吉野朝)の中心・葛西氏六代清貞が建立したものと伝えられています。また、吉田松陰は『東北遊日記』に「湊有八皇子護良親王為先帝所建碑」と書き残しています。
一時志士・学者の参拝が相次ぎ、寛政2年(1790)には高山彦九郎(1747〜1793)・蒲生君平(1768〜1813)も訪れ、明治35年(1902)5月には石川啄木も修学旅行で見学し、更には昭和27年(1952)9月には井伏鱒二も訪れ「『奥の細道』の杖の跡」に記しています。
伊達支配の時代には、仙台藩主参拝の際は門前で下乗し、僧侶は当日限り着座扱いと伝えられており、大塔宮護良親王陣中守本尊とされる大日如来像が寺に収められています。 |