| 現在中瀬に建つ教会堂は、長崎の大浦天守堂に次ぐ古さで、現存する木造教会では国内最古の建物です。昭和53年(1978)の宮城県沖地震で被害を受け、取り壊す予定でいたものを、石巻建青会等の市民が移築復元の運動を行い、約2,400万円の費用を募金活動などで賄い、昭和55年(1980)に竣工し、石巻市に寄付され同年12月石巻市指定文化財に指定されました。
建物は木造二階建の和洋折衷様式で、上から見ると十字架の形をしています。手摺や土台には、塗り潰してから新たに木目を描き入れる「木目塗」と呼ばれる明治初期の洋風建築の意匠が施されています。イコンは、ロシア王室に献上の実績がある明治の代表的女流画家山下リン(1857〜1939)によるもので、当時の西洋文化と東洋文化の出会いが作風に感じられます。
ハリストスはロシア語でキリストの意味でロシア正教を表し、日本では文久元年(1861)大主教ニコライ(1836〜1912)が箱館(函館)で布教を始め、さらに明治5年(1872)東京築地で布教を行いました。石巻では明治10年(1877)仲町の商人伊藤忠右衛門一家の入信がその始まりと言われています。しかし石巻とキリスト教の関係は戊辰戦争の時まで遡り、旧幕府軍と共に折浜から榎本武揚艦隊へ乗船した多数の仙台藩脱藩兵士等が後に箱館で洗礼を受け帰郷します。かくして宮城県北部にハリストス正教が定着する基礎が築かれ、後の自由民権運動にも影響を与えたと考えられています。 東京でニコライの洗礼を受けていた勝又c(アキラ1848〜1919、初代湊小校長、県議会議員)の努力で、明治13年(1880)新田町に石巻で最初の教会堂が建立され、後に湊・釜にも教会堂が作られています。
石巻の初代司教である坂本竜馬(1835〜1867)のいとこ沢辺琢磨(1834〜1913)は、一時、ニコライの殺害を企てるものの、その教えに深く打たれ洗礼を受け、熱心な信者となりました。明治22年(1889)5月にはニコライ自身が来石し、布教活動を行いました。 |