住吉公園の地は、「袖の渡り」と呼ばれ、古来歌枕で知られた旧金花山道の渡し場でした。義経が船賃の代わりに片袖をちぎって船頭に与えたと伝えられ、明治期には「墨廼江渡し」「一文渡し」とも呼ばれていました。ここにある「巻石」(えぼし岩)は、石巻の地名由来の一つといわれています。
住吉公園内には延喜式内社大島神社や愛宕山があり、板碑、戊辰の役の時石巻を救った細谷十太夫(1845〜1907)・松倉恂等による川村孫兵衛紀功碑、保原花好の句碑、平田船絵馬、千石船の石灯篭、熊子坊、下馬石など歴史にまつわる碑などが数多く残されています。また初代石母田正輔石巻市長の銅像もここに建立されています。
江戸時代の奥の細道『曽良旅日記』には「帰ニ住吉ノ社参詣。袖ノ渡リ、鳥居ノ前也」の記述があり、当時すでに参詣の人が多かったことが解ります。明治期にはこの付近に志賀直哉の祖父ゆかりの相馬家の米蔵がありました。この時期盛岡中学の啄木・賢治も修学旅行に利用した明治18年(1885)に設置の石巻〜狐禅寺間の定期航路「北上会社の川船蒸気船」の発着所や、御島に佐々木惣吉旅館(ハリストス正教会堂建設のひとり)などが建ち賑わっていました。
毎年夏には天王様祭り、石巻川開き祭りの前夜祭として川施餓鬼会が開催されています。 |